沖之光酒造所 ~宮古島~
宮古には6つの酒造所がありますが平良市内にあるのは二つでその内のひとつが「沖之光酒造所」です。以前は宮古高校のすぐ傍にありましたが都市計画の道路拡張により2016年現在の場所に移転しました。
街中から少し離れた場所で1400坪という広大な敷地にあります。1948年(S・23)創業ですから71年を迎えました。2代目にあたる古謝満さんにお話を伺いました。
古謝家の先祖は戦前1935年(S・10)嘉手納町から宮古島に移住してきた古謝松・ゴゼイ夫婦です。
そんなに自然環境にも恵まれない宮古島になぜ移住してきたのか詳しい経過は知らないそうですが何らかの「伝手」があったのでしょう。宮古島に移住した夫婦は農業を営んでいました。酒造所は息子の「為吉」が創業します。満さんの父です。当時は平良市内に小さな酒屋が数件あり、首里から来た職人が酒造りを教えていました。酒屋で働き酒造りの技術を身に付けた為吉は「古謝酒造場」として独立します。瓦屋根の立派な酒屋です。それから31年後の1979年に現在の「沖之光酒造所」に改名しました。あまり宮古らしくない?名前なので由来を聞くと「沖縄の光に」という願いを込めて、ということでした。なるほど、沖縄本島の嘉手納から宮古島に移住して来た先代の想いが込められている名前だったのです。
満さんは5人兄弟の末っ子です。姉と兄がおり写真で抱っこされているのが満さんです。(写真には姉ひとりが遊びに行っていて撮ってないとのこと)。満さんは高校を卒業後東京で醸造学を学び酒造所で父とともに酒造りを始めます。そして45歳の時、2代目社長になりました。現在65歳です。決して派手ではなくむしろ地味な酒造所ですが酒造りの丁寧さでは定評のある酒屋です。新酒でも1年以上はしっかり寝かせて出荷します。
アイテムも多くなく「沖之光」「月桃の花」「2001年」がありますが主力は何と言っても沖之光です。
家族と数人だけの小さな酒造所ですが工場の設備はかなりのものです。現在の場所に移転した際に思い切って導入したそうです。
8年前、東京にいた息子(次男)が「酒造りをしたい」と帰ってきました。満さんは一度も酒屋を継いでくれと言ったことはないそうですが、長男はすでにそれなりの仕事に就いているので「後を継ぐのは難しい」状況だったのであとは実のこどもじゃなくても誰かに・・・と思っていたそうです。
息子の裕規さんに聞いてみました。「なぜ酒屋を継ごうと思ったんですか?」すると、おじいちゃんから続いてきた実家の仕事だから・・親が言わなくても子どもは子どもなりにどこかで決心し覚悟したのでしょう。息子が帰って来てくれて「嬉しい!」母親の笑顔は喜びをいっぱい表しています。取材の日は明け方まで仕込みの作業をしていたとのことで、眠い目をこすりながら付き合ってくれました。現在34歳。真面目に真剣に酒造りに打ち込んでいます。満さんいわく、俺とは全然違うな、真面目!との事。あと10年もすれば立派な3代目になります。後継者不足も深刻な泡盛業界で後継者が育っていることが一番嬉しいことです。次の世代はまた時代の変化とともに新しい泡盛の世界を私たちに見せてくれると思います。お忙しい中、また睡眠不足をおして長い時間楽しいお話を聞かせて頂きました。ありがとうございました。
*工場の見学には応対していませんが会社入口の広い販売ブースがありますのでお気軽にお立ちよりください。「ここでしか買えない」限定泡盛もあります。