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野口 望Nozomu Noguchi

日本トランスオーシャン航空 代表取締役社長

略歴
1992年 日本航空(JAL)入社
2011年 日本トランスオーシャン航空 企画部副部長
2015年 日本航空(JAL)復帰
2022年 日本トランスオーシャン航空 代表取締役に就任

沖縄の翼として
私たちが目指すもの

平素より日本トランスオーシャン航空(以下、JTA)をご愛顧・ご支援頂いている皆さまに厚く御礼申し上げます。

JTAは、沖縄がまだ米軍統治下であった1967年、日本航空と地元企業の合弁で、島嶼県沖縄県内の島々を結ぶ航空会社「南西航空」として誕生しました。
創業当時は、座席数40席のCV-240(コンベア機)と9席のH-18(ビーチクラフト機)という小型プロペラ機3機で、那覇=宮古/石垣/久米島/南大東、石垣=宮古/与那国の県内6路線から運航を開始しました。その後、沖縄が観光地として発展していくことに伴い、県外への路線展開を行い、1993年には名称を「日本トランスオーシャン航空」に変更、現在では、165席のボーイング737-800型機14機で県内3路線、県外13路線の16路線に就航しています。沖縄の歴史とともに歩み、様々な変化を経ながら、本年創業56年を迎えることができました。これもひとえに皆さまの温かいご支援の賜物と心から感謝申し上げます。

安全・安心の提供

航空機を安全に飛ばすことは先人の知恵・技量の積み重ねであり、その努力や知識、経験、仕組みを理解して取り組まなければならないと思っています。
社員は、先人が積み重ねてきたくれたこれらの財産を積極的に吸収し、航空のプロフェッショナルとしての使命感と責任を自覚して、今後とも揺るぎない安全、安全運航の堅持を最優先に尽力してまいる所存です。
さらにお客さまには、清潔で快適、ご安心いただける空の旅をお届けしてまいります。

安全かつ安心で洗練されたJALグループの品質に、「沖縄ならでは」の付加価値を加え、最高のサービスを提供し、お客さまから必要とされ、選ばれ続けるエアラインを目指していきたいと考えています。

うちなーの翼として沖縄に貢献するために

コロナ禍により、価値観、ライフスタイル、働き方、等、様々な変化が起きています。
ここ数年間の変化はコロナ禍により余儀なくされたものがほとんどですが、その中で劇的に進化した技術もあり、それは今後も活用され進化し、人々のニーズもまた変化していくものと思われます。

私たちは、そのような変化に対して受け身になって順応するだけでなく、自分たちで自ら率先して良い変化を創っていきたいと考えています。

一方で、後世に繋ぎ、残すべきものもあります。例えば、世界自然遺産に登録され、世界の宝として認められた「やんばる」と「西表島」を含む沖縄の多様性あふれる自然環境、文化や人々はいつまでも色褪せることのない魅力です。
直接触れ合うことで癒しやパワーを感じるリアルな旅の価値は、今後一層高まるものと考えておりますが、この様な魅力はしっかりと後世に繋いでいくべきであり、そのための取り組みを私たちは地域のみなさまと協力して行っていきたいと考えています。

ご愛顧いただいているお客さまや、育てていただいた地域の皆さまへの感謝を胸に、全社員が強い意志とやりがいともって活き活きと働き、人としても企業としても必要とされ、地域・社会のお役にたてる存在であり続けることをお約束いたします。

今後とも日本トランスーシャン航空に変わらぬご愛顧・ご支援を賜りますよう、よろしくお願い申し上げます。

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