MENU

JTAの活動 JTA JOURNAL想いをつなげる

  • HOME
  • JTAの活動
  • JTA JOURNAL

第20回 北谷長老酒造工場(沖縄本島北谷町)

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

創業169年の老舗酒造所


 

 

 

 

北谷町といえば、返還された米軍基地の跡地の開発で、今や若者の人気のベイエリアがあり、どことなく外国の雰囲気が漂う街です。

なかなか読みにくい方も多いと思いますが「ちゃたん」と読みます。

 

 

 

 

賑やかなエリアを過ぎ、昔からの佇まいが残る住宅街に入ると、北谷長老酒造工場が見えてきます。

琉球王朝時代、首里三箇の赤田で酒造りをしていた本家から「暖簾分け」で北谷へ。

1894年創業ですから169年!になります。

 

 

 

 

長男・玉那覇 仁氏、次男・豊氏、三男・徹氏の三兄弟で酒造所を継いでいます。

仁氏が杜氏で豊氏が営業部長、三男の徹氏が6代目の社長でそれぞれが役割分担をしています。

営業部長の豊氏にお話を伺いました。

 

兄弟3人で


 

 

 

 

 

北谷で開業した当初は、今の場所ではなく、水の豊富な桑江集落の「白比川」の近くだったそうです。

酒造所の名前も玉那覇の玉をとって「まるたま」、それから玉那覇酒造所になり、2006年に「北谷長老酒造工場」に社名変更しました。

小さい頃から、学校から帰ってきたら酒屋の手伝いが当たり前で、多い時は500本くらいの空き瓶を洗ったり、商品のラベルを貼ったり、それが当たり前の生活だったそうです。

 

 

 

大人になり長男、次男は別の仕事についたのちに入社しますが、3男だけは20才から酒造所にで働いています。
それで3男が社長なんですね。

 

父とまたその父、先祖代々受け継いできた家業である酒屋を兄弟でやって行こう、と決めたのは高齢になっていく父親の背中だったそうです。

 

やはり生まれ育った酒屋への愛着があればこそです。

 

 

北谷長老に敬意をこめて


 

現在、工場に3人、経理を含め8人の酒造所です。
大規模な設備投資はせず、昔ながらの製法にこだわって造っているため、出荷数も制限せざるをえないそうですが、北谷長老の酒は口コミでどんどん広がり、人気酒造所になっています。

 

会社名を商品名の「北谷長老」にしたのは、琉球王朝時代の有名な僧侶で、琉球で最初の僧侶といわれた北谷の生まれの「南陽紹弘」(なんようしょうこう)という人が、13歳で出家し、日本各地で修行した後、琉球に帰り、生涯を故郷の北谷で、病に苦しむ人達を祈祷して救ったことから、村人が尊敬をこめて「北谷長老」と呼んでいたことに由来しています。

 

 

北谷長老のお墓は、「キャンプ瑞慶覧」という米軍基地の中にある「長老山」に建立されていて、毎年9月15日に墓前祭が行われています。

ゆかりのある人の名前にあやかることって素敵なことです。商品名と会社名が同じというのは珍しいことでもないのです。

 

他にも、琉球芝居で有名な「丘の一本松」というお酒も発売しています。
琉球芝居が好きな人たちに人気のようです。

 

酒造所まではなかなか行けないと思いますが「北谷長老」「丘の1本松」の泡盛を見つけたらぜひ飲んでみてください。

口に含むとやわらかい甘い味がします。

 

 

 

 

先代から時を経て世代へと受け継がれてきた酒造所は琉球の歴史そのものでもあるんですよね。

豊さん、取材にお付き合いくださりありがとうございました。

 

 

北谷長老酒造工場株式会社


  • 住所:〒904-0105 沖縄県中頭郡北谷町吉原63番地
  • 電話: 098-936-1239

 

(2016.9.15 掲載)

ON/OFF

ページトップ