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波照間酒造所~波照間島~

日本最南端の島へ

やっと行けました!!波照間島。というのは酒造所巡りがスタートして以来、悪天候やら日程の都合やらでタイミングが合わず延び延びになってました。波照間島は飛行機での便がない為、交通手段は船のみ。更に12月から2月頃までは船の欠航率が50~70%!良い時でも4月、5月で13%前後なので石垣島まで行ってたどり着けなかったという人も珍しくないのです。そんな訳でかなり時間が経ちましたが無事波照間島到着!!10数年ぶりです。

石垣島の離島桟橋から大型フェリーで1時間20分!200人以上も乗れるフェリーは座席もほぼ満席で夏休みということもあり子ども連れも結構いました。天気も良く爽やかな青空、美しい海原でルンルンで出発!しばらくして西表辺りに近づくと一気に船は揺れ始めます。黒いレジ袋を口に当てた人たち続出。トイレ満杯!賑やかだった会話も途絶えて・・「二日酔いでは絶対無理!」みなさん気をつけましょう。

  波照間島到着!酒造所の拡さんに港まで迎えに来て頂いて酒造所へ。(島にはレンタカーは数台しかなく私たちはレンタルすることができませんでした。)酒造所はサトウキビ畑が広がる道を通り、民家が並ぶ集落の中に馴染んでました。看板がなければわからないほどです。隣の広場ではおじいちゃん、おばあちゃんがグランドゴルフを楽しんでいて何とものどかな風景です。

島の現在の人口は510人。276世帯。高校は無く、中学を卒業するとみんな島を離れます。酒造所の兄弟2人もそれぞれ石垣島と那覇の高校に進学。那覇や東京でサラリーマンをしたあと島に帰ってきました。おふたりにお話を伺いました。会うのは島酒フェスタ以来です。

 

酒造所の後を継ぐ決心で

 

家族とともに島に帰ってきたのは卓也さんが15年前。弟の拡さんは10年前。35歳と32歳。15歳で島を離れてから20年と18年。それぞれ都会で結婚し親になったことで「子どもを育てるなら島がいい」と思ったそうです。酒造所は島にたった1か所。祖父と父がしっかり守ってきた酒造所を継がなくては・・という思いも心のどこかにあったそうです。

酒造所は最初、島の人の共同作業場として始まりました。その後、波照間哲夫さん(祖父)の個人酒造所、波照間酒造所としてスタートしたのが1950年(昭和25年)。お酒の「泡波」の名前の由来を聞いてみました。泡盛の泡と波照間島の波から一文字ずつ取ったとのこと。すごくシンプルです!お酒も最初はお米ではなく粟やサトウキビのしぼり汁などで造っていました。それはお米は貴重な食べ物ですから波照間島にもれず宮古でも石垣でも最初は粟などで造っています。波照間島はサトウキビからできる「黒糖」も有名。

 酒造所は家業なので小さい頃からいろんな手伝いもしたと言いますが、大きくなって酒造所を継ぐということは全く考えていなかったそうです。それより早く島から出ていくことに憧れていた、と笑います。那覇と石垣の高校に進学しても年に数回は帰省するわけですから島はいつでも近い所にありました。波照間島は祭祀行事をすごく大切にしている島です。ミルク神降臨で豊作や島の繁栄を祈る「ムシャーマ」は無形民俗文化財です。島の人総出で行うのですが島に出ている人も里帰りして盛大に行います。それ以外にも幾つもの行事があるので二人ともいくつもの役割があるんだそうです。もちろんこどもの学校行事も色々あるわけですから島の青年はとても忙しいのです!島に帰ってきた時は隣近所、親戚のおじさんおばさんがとても喜んでくれたそうです。

  酒造所は祖父の哲夫さんから父の忠夫さんに引き継がれていました。父は仕事にとても厳しい人で酒造りも優しく教えてくれなかったといいます(笑)ほとんど会話をせず黙って作業をするひとなので傍でしっかり見て覚えてきたそうです。それでも親子で唯一の共通の趣味が釣り!なので一緒に出掛けるのが楽しいようです。二人の息子で大丈夫と思ったのかいつからか酒造りの作業を息子たちに任せるようになり最近は釣り三昧?で楽しんでいるようです。それでも島の行事で忙しい息子たちにかわり工場でもろみの世話をしたりはしています!

 

 

幻の酒といわれて

数年前から観光客がたくさん来るようになり年間約1万人前後の人が島にやってきます。するとそれまであまり知られていなかった「泡波」が売れるようになり品切れも出るようになりました。いつからか「幻の泡盛」と言われるようになりネットでは5倍、10倍の値段で売られるよな異常な現象も起きました。すると酒造所に「何でこんな高い値段で売ってるんだ!」いう苦情の電話もかかってくるようになり母親が電話に出ることを怖がっていたといいます。それで酒造所としてホームページで「ネットでの高額取引・販売について酒造所は一切関与していません」という旨のコメントを発表しています。

 

みなさまへ

酒造所はスペースの問題もあり製造量が限られています!なので大量生産することはできません。現在95%が島で消費されます。消費というより酒は祭祀行事、冠婚葬祭に欠かせないものなのでまず、島の人たちが必要な量を確保します。当然、島の外に流通するのはとても難しいのです。それが幻の酒と言われている理由です。島では普通の値段で買えます!ただ天候などの理由でなかなか島に渡ることができにくいので「入手困難」にはなります。このような状況を二人はどう思っているのか聞いてみました。「ほんとにビックリした。なんでそうなってるのか理解するのに時間がかかった」と笑ってました。「私たちは酒造所として何も変わりません」。普通に自然体の二人です。酒造所も来年は70周年を迎える。建物も設備もだんだん古くなってきたのでそろそろ色々考えなくてはいけないと思っていますとのこと。みなさま、どこかで偶然「泡波」に出会ったときは「ラッキー!」と感動してください!こんな酒造所もあってホッとします。高額な取引でなく島にでかけたときにぜひ手に入れてください。 

                                                                

お二人はとても誠実で爽やかでほんとに好青年です。ほんとは波照間島に泊まって一緒に飲みながらもっとたくさんの話を聞きたかったのですがギリギリまで待っても全然宿がとれませんでした!なので泣く泣く日帰りの旅でしたが今度また必ず行きます!お忙しい中、長い時間楽しいお話ありがとうございました!

 

 *波照間島の名前の由来:漢字は当て字です。はては果て、うるまは琉球、あるいはサンゴ礁を言います。はてのうるまを合わせて波照間になりました。中国の書には「補月老麻伊是麻」ホティローマイジマとあります。昔はカツオ漁も盛んでカツオ節も作ってました。戦争で全員西表島に疎開。マラリアで人口の約4割が亡くなるという哀しい歴史もある島です。「パイパティローマ」とは、波照間島のもっと南に楽園があると信じられていたことを表しています。波照間島は最後の楽園ということかも知れません。

 

ライター 下地 恵子

 

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