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第5回 神村酒造(うるま)

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

森の中の酒造所


 

今年創業132年を迎える神村酒造は業界でも老舗の酒造所です。
うるま市の緑豊かな場所にあり3000坪の広大な敷地内には木々が茂り野鳥が飛び交うのどかな雰囲気で、看板がなければ酒造所とは思えないような佇まいです。
入り口を入ると、左手にログハウスのような建物があり、そこが販売ギャラリーと事務所、そして地下には貯蔵蔵があり、お客様から預かった古酒がズラリと並んでいます。

 

 

 

 

事務所の奥のスペースはガラス張りの窓で、木のテーブルにベンチがあり、まるで山の中の小さな喫茶店のようです。
そこでは毎朝スタッフのミーティングが開かれるそうです。
たまには唄者を招いてのミニコンサートも開かれたりするとかで、老舗の堅苦しい雰囲気は微塵も感じられない爽やかな酒造所です。

 

緑の木々の隙間から柔らかな日差しが降り注ぐテーブルで、専務の中里迅志(はやし)さんにお話を伺いました。
中里さんは、6代目社長の神村盛行氏の姉の夫で元銀行員。
銀行を辞め1996年に入社。明るくてパワフルな人で現在、酒造組合の青年部長を務めています。

 

 

 

アイデアマンで、入社以来、いろいろな面白い仕掛けをして、泡盛の普及に日々奮闘しています。
中里さんは、銀行員の頃から沖縄のためになることをやりたい!
と常々思っていたそうで、”もちろん銀行も沖縄のために一生懸命役にたっている企業ですが”と前置きしたうえで、何かの縁で酒屋の娘と結婚したんだから沖縄の大切な宝である泡盛業界で働くのもいいのではないか・・・。
と、考えた末に華麗なる転身をした人。

 

 

硬いイメージの銀行員だったいうのは少しも感じられず、おおらかで爽やかな青年です!
泡盛をもっともっと多くの人たちに飲んでもらいたい!
そのための努力をメーカーとしてしっかりやっていきたい!
頼もしい決意にこれから業界を担っていく、若い世代の活躍が泡盛の明るい未来を作っていくのだと感じました。

 

 

神村酒造の歴史


 

1882年(明治15年)。那覇市の繁多川で神村盛真によって創業されました。
泡盛の製造が官営だった時代に、5つあったうちのひとつで、その後民営化されるのを機に1949年に2代目・盛仁のとき那覇市松川に移転。
その後、「もっと環境のいい場所で」、「泡盛酒造所がない場所で」という条件で1999年、現在のうるま市に移転。
最初は工場だけ移転して、完全に移転するのには数年かかりました。
移転には、当時の石川市の全面的な支援もあり、神村酒造は豊かな自然環境の場所で新しいスタートをきりました。

 

 

 

2代目の盛仁氏が若くして他界したため、3代目の盛英氏が若干14歳で社長に就任。
今の時代では考えられないことですが、泡盛がまだ産業として成熟していない時代には「家業」であり、ほとんどの酒造所は息子が後継者でしたから当然といえば当然だったと思います。
4代目が盛也氏、5代目が渡嘉敷由紀雄氏で、6代目が現在の盛行氏です。

 

神村酒造を一躍有名にしたのは、樫樽貯蔵「暖流」の発売でした。
泡盛業界では初めてのことでした。以降も次々と新商品開発に取り組み神村の名は知れ渡っていきます。
銀行員から転職した中里さんは4代目、盛也氏から聞いた話として「昔は酒屋の煙突から煙が出ると、隣近所から人がお風呂に入るために集まってきた。」と言います。

 

 

 

 

工場でお米を蒸す時に出る熱を利用して、お風呂をたて人々に無料で提供していたそうで、男たちは量り売りの酒を買い、それを飲みながら互いに情報交換をし、交流の場になっていました。
当時は、お風呂もすごく貴重なものでしたから、地域の人にとってはすごく有り難いものだったに違いありません。

 

地域に愛される会社に!


 

その話を聞いた中里さんは地域の人たちに喜ばれる会社にしたい!
と強く思ったそうです。
それからいろいろなアイデアで、イベントを仕掛けていくようになります。
泡盛の魅力を発信しながら、地域への感謝をこめて年に1回、3月に(今年は14、15日開催)感謝祭を開催しています。
広大な敷地内に舞台を作り、エイサーなどの地域の芸能を披露したり、屋台を出したりで2日間で1000名以上のお客さんが来てくれるそうです。

 

 

 

イベントの内容企画や運営もすべて社員。まず社員が喜んでやることが大事だといいます。
自分たちが喜んでやらないことは、お客様は喜ばない!からだ。
面白いイベントでは「泡コン」というのがあって、35歳以上の男女が参加するいわば合コンですが、飲食店を貸切りで会費制で行うそうで、この泡コンで出会い結婚したカップルもいて、なかなかの人気らしい。
きっかけは若い女性にもっと泡盛を飲んでもらいたい、ということからのアイデアで、さすがに若い人の発想は楽しいものです。
その他に12月30日から1月3日は、サンシンやエイサーライブで「泡盛パーティ in 酒蔵」も開催しています。

 

 

 

お正月に沖縄を訪れる観光客や、地域の人たちにも好評だそうです。
蔵の見学も、一人からでもオーケーで、お客様の要望でナイトツアーもあるそうですから、サービス精神とパワーに驚きます。
2010年には「沖縄MICE会議運営部門賞」を受賞しています。
これは会議の会場にでかけて、パーティーで泡盛を提供するもので、いわば泡盛のケータリングです。
特に、県外の企業が主催する会議では、喜ばれているそうです。

 

神村酒造は、これまでの泡盛業界のイメージを明るく高めながら、質の高い商品とサービスを提供して、地域とともにある会社として発展を遂げているように思います。
若いからできることは、きっとたくさんあると思います。老舗の重圧に負けず、老舗の誇りを持って世界に羽ばたいてほしい会社です。

 

 

 

余談ですが・・・偶然の出会いがありました!


 

ギャラリーの入り口を入って左手の壁に大きな絵がかけてあります。
沖縄出身で、フランス在住の画家・幸地学さんの「大琉球」という絵で、以前に画廊で開催された幸地さんの個展で、その絵を見てすごく感動したのを思い出しました。
私が始めて神村酒造のお酒を買ったのは、この絵がラベルの「大琉球」というお酒でした。
それまでほとんど、神村酒造の酒は飲んだこともなく、買ったこともありませんでしたが、お酒が発売されたとき、「1本に1枚A4サイズの大琉球のポスターがもらえます」というので、絵のポスターがほしくて買ったのを憶えています。
それにしてもなぜあの絵がラベルになるのか・・社長が幸地さんのファンなのか・・親戚なのか・・

 

 

 

思いめぐらせながら、中里さんに「なぜこの絵がここにあるのか」を伺ったところ、「銀行をやめて神村に就職すべきかどうか迷っていたときに、この絵に出合い、幸地さんがこの絵に込めたメッセージに強くひかれて買い求めたそうです。
けっして安くはないこの絵を、若い中里さんが買ったのは、幸地さんの「自分の人生の分岐点は自分で決める」という言葉で、これから全く違う世界で生きていく決心をさせてくれたこの絵を一生の宝物にしたい!と思ったからだそうです。
現在は大琉球は発売されていませんが、またぜひ発売してください!とお願いしました。
ほんとに感動しました!
酒蔵であのあこがれの本物の絵に会えるなんて!!

 

 

 

またいつかあの絵に会いに行こうと思います。
帰り際に中里さんが倉庫に残っていたあのポスターを探してくれて、プレゼントして頂きました。またまた感動しました。
泡コンは無理ですが、感謝祭も蔵パーティも、いつかでかけてみたいと思います。

みなさまも機会があれば、いえ、機会を作ってぜひ訪ねてください。
森の中の酒造所の感謝祭は3月14、15日開催です!

 

(2015.1.22 掲載)

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