第18回 咲元酒造(沖縄本島那覇市)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
よみがえった泡盛・奇跡の蔵
71年前にほぼすべてを破壊された首里の町。首里城が復元され今では、大勢の観光客で賑わっています。(2016年取材当時)
鳥堀町の大通りから、わき道に入ると咲元酒造があります。
明治27年、1902年創業、今年114年を迎える酒造所。
王朝時代に酒造りを許された首里三箇のひとつ鳥堀にあります。泡盛の神様が居ついているかも?
と思わせるような工場の中で、昨年8月に4代目に就任した佐久本啓さんにお話を伺いました。
社長というより職人のようで飾りもなく自然体で酒造りにまっすぐ!という感じの人柄です。
57歳での社長就任ですからかなり遅い気もします。
就任する前は全く畑違いの証券会社のサラリーマンだったといいますからちょっとびっくりしましたが、やはり酒屋で生まれ育ったDNAでしょうか、先祖代々受け継がれてきた泡盛造りに対する強い思いを感じます。
佐久本さんなのに咲元(さきもと)酒造?読み方は少し似てますが、以前は首里酒造でしたが昭和5年、当時の国税所長さんが「咲元」がいいんじゃない?と言って付けたそうです。
理由は咲は酒(沖縄では酒をさきといいます)につながり、元は元祖につながるからです。
戦争で焼け野原になった首里に戻ってきた2代目は酒造所を探しました。
歩き回って1本の木を見つけます!それは先代が後に医者になった息子が産まれた時に母屋の庭に植えたという、沖縄でギギジャー(ミカン科・げっきつ)と呼ばれる木です。
今も酒造所の庭にしっかり根をはって酒造所を見守っています。
その木を見つけた先代はそこが自分の家だと確信し泡盛の製造を始める準備をします。
しかしながら泡盛を造るための黒麹も戦争で焼けてなくなっていたため(当時は黒麹は蔵の中で作っていたそうです)イースト菌で代用していました。
ある時、敷地内で二クブクと呼ばれる発酵させるために蒸したコメの上に被せる稲で編んだムシロ)を見つけます。
先代はもしかしたら!!一縷の望みを託して蒸したコメに小さくちぎって撒き一晩・・恐る恐る開けてみると「黒麹」が生きていたのです!!
あまりの嬉しさに涙を流したといいます。
すごいのはその黒麹菌を自分の酒屋だけでなく周辺の酒屋にも分けてあげたことです。
それが黒麹菌による本来の泡盛の復活につながったのです。
あの時のニクブクの発見がなければ泡盛の復活はずっと後になったと思います。
だから、佐久本は「咲元」でいいのです!
空襲で焼けずに残った奇跡の1本が奇跡の蔵になったのです。
現在も杜氏の方といっしょに昔ながらの製造にこだわりなるべく機械に頼らない酒造りをしています。
飲んでくれる人が笑う酒、喜んでくれる酒を造るために心を込めて造っています。
何より造る喜びがないとダメだといいます。 また酒を造るだけじゃなく売り方も考えます。
ボトルにもこだわります。
以前は近辺の4つの蔵が合同で、ホテルでの泡盛会もやっていましたが、やらなくなってしまたったので、現在は蔵で単独でゴールデンウィーク、シルバーウィーク期間に蔵祭りを開催しています。
おかげさまでかなりの人気です。
蔵でしか買えない秘蔵酒も販売されたりするそうですから、楽しみに待ってるお客様がたくさんいるようです。
泡盛の売り上げが年々さがっているのが報道されますが、啓さんは言います。
「まず、地元がしっかり泡盛を理解すること、沖縄の大切な文化であることを知る事」
「自分にあった酒の味を見つけることも大事」だといいます。
咲元は新酒でも約1年間寝かせます。荒ろ過で口当たりも柔らかく泡盛本来の味が楽しめます。
1世紀以上の時を経た蔵の中には泡盛の神様がいるような、歴史を感じる蔵です。
社長の営業車の後ろには、泡盛のチラシが普通に貼られていて「泡盛にまっすぐな蔵」だという思いが伝わってきます。
蔵にはそれぞれ蔵の数だけロマンとドラマがあります。
一度訪ねてみてくださいね。
(資)咲元酒造
(資)咲元酒造
住所:〒903-0805 沖縄県那覇市首里鳥堀町1丁目25
電 話 098-884-1404
(フリーダイヤル:0120-78-3910)
HP: http://sakimoto-awamori.com/index.html
工場見学のご案内
・小数の場合は飛び込み見学も可能ですが、予約して頂ければ幸いです。
・団体様5名以上は原則として電話にて予約ください。
・見学の時間帯(昼食時間、12時~13時まではお休み)
午前は9時30分より正午まで
午後は1時より16時30分まで
所要時間は20分程度
・定休日・・・日曜日・祝祭日
・祝祭日は午前10時~16時半まで、特売会(割引セール)があります。
(2016.6.28 掲載)