第25回 玉那覇酒造所(石垣島)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
首里から石垣島へ
平坦な宮古島と違って、山々が連なる石垣島は、風光明媚で自然豊かな島であり、泡盛造りに欠かせない「水」の豊富な島である。
八重山で最古の蔵である玉那覇酒造は明治45年創業。今年105年目を迎える。(2017年取材当時)
現在5代目にあたる玉那覇有一郎さんにお話しを伺った。
石垣市・石垣の住宅街にある酒造所は、首里から石垣島に渡った玉那覇有和さんが創業。
自然環境に恵まれた石垣島は泡盛造りに魅力的な島であったに違いない。
最初は、弟が石垣島に渡り酒造りを始めていて、兄にあたる有和さんを呼び寄せたそうだ。
なので一時は、字登野城と字石垣に、二つの酒屋があったそうだ。
今も昔ながらの地釜式蒸留で泡盛造りをしている。
銘柄「玉の露」は、知る人ぞ知る名酒である。
家族だけで経営している小さな蔵は、製造量も限られているのに、あえて老麹にもこだわる。
瓶詰めもラベル貼りもすべて手作業で行っている。
5代目として
戦争の時の空襲で壊滅状態になった蔵を建て直し2代、3代、4代と繋いできた蔵の歴史は苦労の歴史でもあった。
有一郎さんは現在40才。
島外でサラリーマンをしたあと島に戻り酒屋を継いだ。
酒屋で生まれ育った青年は、「泡盛不遇」の時代も覚えている。
酒だけでは経営が難しい時代には、何処の酒屋もそうであったように養豚業もして乗り越えてきた。
徐々に酒も売れるようになってきたものの「玉那覇酒造を知ってる人はあまりいませんでした」と笑う。
居酒屋でも「玉の露」を飲む人は、ほんのわずかだったそうだ。
最近、飲食店に行って、棚に「玉の露」が並んでいるのを見ると、うれしくなると話す。
大手のような営業もなかなか難しい小さな酒屋は、設備投資も難しく、今も昔ながらの工場で酒造りをしている。
社長みずから配達もする。
みんなで何でもする。何だかホッとする酒屋だ。
最近、隣に土地を購入し大きなプレハブの貯蔵施設を建てた。
これから徐々にタンクを設置し古酒造りを始める。
「30年間借金を背負います」5代目の覚悟もある。
戦禍をくぐり、経営難を超え先代たちが守ってきた蔵は、5代目が次の世代に引き継ぐ責任もある。
気負いも全くなく自然体だ。
母あればこそ!
元気なお母さんだ!
沖縄本島・与那原町出身の美佐子さん。
22歳で那覇で結婚した。職場結婚だった。
まさか石垣島で「酒屋のおかみ」になるとは思わなかった。
苦労もあったけど幸せな人生だと笑う、大らかなお母さんだ。小さな蔵はおばあちゃん、お母さんの支えも大きい。
酒屋は女の力がすごいなあ・・と思う。
今でも現役!
玉の露も美味しい酒として広く知れ渡るようになってきた。
八重山最古の蔵は105年。古い佇まいが歴史を物語る。
すでに、1世紀を超えて受け継がれる、蔵の歴史は家族の歴史そのものです。
これからあと100年後も、美味しい酒造りの蔵であり続けてほしいと願う。
株式会社玉那覇酒造所
住所:〒907-0023 沖縄県石垣市字石垣47
電話: 0980-82-3165
(2017.2.27 掲載)