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第14回 津嘉山酒造所(沖縄本島名護市)

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

 

 

 

新年が明けてもなかなか寒くならない1月中旬、ポカポカ陽気に包まれて名護へ!
名護城公園の桜はまだ1分咲き程度でした。

市内の住宅街の細い路地をくぐった先に赤瓦のいかにも古い趣のある古民家が見えてきます。
表のブロック塀に掛けられている「津嘉山酒造所」の看板がなければ、そこが酒造所?と 思うような・・・。

 

名護在住の方でもその存在を知らない人も多いとか! 知る人ぞ知る酒造所なのです。
しかも県内に現存する木造赤瓦の建造物では最古 で平成18年に文化庁の有形文化財に登録されたすごい建物で、現在4億2千万円をかけて解体・修復工事の真っただ中でしたが、麹部屋だった建物はすでに修復作業も終わり、現在は母屋と工場の作業が進んでいます。

 

 

 

合掌造りの珍しい建物で、首里城の復元作業をした会社が行っており東京の公益財団法人 「文化財建造物保存技術協会」から技師も派遣されていてビックリしました。
国の文化財の工事はスゴイものです。
津嘉山酒造所を訪ねるのはラジオの 番組で「やんばる島酒の会」の取材以来です。
その時はまだ建物がありました。お忙しい中、工場長の幸喜行有さんに作業中の建物の中でお話を伺いました。

 

 

津嘉山酒造の誕生


 

今年創業86年。
創業者は与那原出身で明治13年生まれの津嘉山朝保。
材木商で財を成した朝保が「泡盛製造」に至った経過は、当時の資料なども少なくよくわかっていませんが、水が豊富な名護で広大な土地を買い首里三箇から「麹おばあ」の女性の杜氏を住み込みで雇い酒造りを始めました。

工場の設計者は島袋純一氏。(この方の資料もなく詳しい経歴不明)
棟梁が金城徳三郎氏。明治35年に首里に設立された「首里区従弟学校」、(現在の沖縄県立 工業高校の前身)の出身が約3年の時を費やして建造した。
当時としては珍しい「合掌造り」でその上、住宅と工場が棟続きという設計。
しかも、トイレが家の中!」だということから戦前、本土から来ていた教師に建築を教わったものと思われる。

 

 

 

広大な敷地の庭には沖縄の地図を模った細長い池まで造ってあり、津嘉山朝保のこだわりを思わせる。
金城氏のお孫さんが時々訪ねて来られるとか。
さらに、屋根に使用されている赤瓦も、瓦職人の息子のお弟子さんが1万枚以上の赤瓦を一人で焼いているという。
世代を超えて技術も受け継がれているという、「奇跡」の酒造所である。

 

 

戦禍を逃れて・・・朝保の死・・・そして工場再開


 

昭和3年、建物が完成し、国頭(くにがみ)で初めて泡盛の免許をもらい、本格的に泡盛製造をはじめた。

酒の名前は「国華」(こっか)。
朝保は名前に 「国頭の華になるように」という思いを託したという。(私は国の華?桜?とか勝手に思っていたのが大きな間違いだとわかった。 名護・ヤンバルが桜 の名所になったのは戦後!)

戦争が始まり米軍が上陸し名護も空襲で壊滅状態になった。
なぜか津嘉山酒造所だけが傷ひとつ負わず残った!
米軍がわざ と残したという話もあるそうだ。
確かにそうかも知れない。
戦後は、米軍が接収してパン工場になり、配給用のパンを作っていたという。

 

 

 

悲しいことに那覇に疎開していた朝保が亡くなり、出兵していた長男の朝勇が戦地のソロモンで病死するという悲劇に襲われた。

酒屋は休業を余儀なくされた。

米軍が引き上げたあとは、家を無くした近所の人たち120人くらいが、敷地内で暮らしていた時期もあったという。

人々の命も支え てきた建物である。

 

 

休業していた酒屋は、朝勇の親友、瑞慶山氏が朝勇の妹と結婚したことで、昭和24年再開されたが、米軍統治下では、ウイスキーが主流で泡盛は売れない時代になり休業。

大手輸入業者が買い取る話もあったが、名護市や関係者、そして津嘉山酒造所を残したい!と願う、市民らの熱意で平成2年、新たなスタートを 切った。

 

 

 

現在社員は4名。工場は二人。
酒の仕込みから瓶詰め、ラベル貼、販売まで何でもこなす。
アイテムは「国華」のみ。二人で作っていて、仕込みは月に1度だけ。生産量700リットル!「こんななので販売店が酒を買いに来てくれるんですよ」を笑う。

復元作業の現場もあるし、電話の応対もあるし、来客もあるしで、那覇までとかなかなか配達には行けない。

 

 

3代目に


 

2005年1月に「津嘉山酒屋保存会」が出来た。現在は会員数が750名。
より多くの人に、津嘉山酒屋を 知ってもらう活動も精力的に行う。

 

 

 

沖縄フォーク村で有名な佐渡山豊さんのコンサートなども開かれる。
年会費は2千円。会員には毎年総会の際に2合瓶の国華が配布される。
また、ネット内の仮想空間で、番号入りの赤瓦が屋根に埋まっていくのを見ることができる「赤瓦ゆいまーる計画」を実施していて、一口千円の寄付で、赤瓦と同じ番号の特製コースターが贈られるという、楽しい取り組みもしている。

 

 

 

修復後は、隣接する敷地内に、名護市が観光施設を整備する計画になっているそうだ。

 

名護市の新しい観光名所になると、期待されている。

 

解体・復元作業は気の遠くなるような作業で板1枚1枚を取り番号を記していく。
腐敗した部分だけを取り除き新しい板を部分的にはめ込んでいくという作業。釘は一切使わない。
雨の日でも作業が出来るように現場にでっかい鉄骨の屋根が造られている。

元々の柱や梁、壁に英語で司令 官室やパーティルームなどと書かれているのが歴史を物語る。

見学もできるので、興味のある方は邪魔にならないようにおでかけください。

 

 

 

幸喜さん、文化財建造物保存協会の田村さん、長い時間ありがとうございました。

 

 

津嘉山酒造


 

合資会社津嘉山酒造所
住所:〒905-0017 沖縄県 名護市 大中 1-14-6
電話:0980-52-2070

ホームページ http://www.awamori-kokka.co.jp/

 

 

(2016.2.24 掲載)

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