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久米島の久米仙

久米島は沖縄の一番西にある島です。人口約8,000人。その昔は「球美島」くみじま、とも呼ばれていました。8世紀頃にはすでに米が作られていたといいます。方言でコメのことをクミと呼ぶ所もありますから現在の久米島の名称はそのあたりからきているものと思われます。かと言って昔からコメで泡盛を造っていたわけではありません。コメは昔からとても貴重なもので酒を造るなんてトンデモナイ!ことでした。

 

 

空港から松の木が立ち並ぶ道を過ぎると宇江城岳が見えてきます。その麓に久米島の久米仙はあります。トップランナーとして泡盛業界を牽引する酒造所です。1949年(昭和24年)に島袋周昌氏によって酒造りは始まります。その後1970年(昭和45年)に合資会社「仲里酒造」として法人化しました。現在の(株)久米島の久米仙になったのは1993年です。2代目の周仁氏を経て正也氏が3代目の社長です。多忙な社長に代わり常務で工場長の島袋純也さんにお話を伺いました。

 

 

純也さんは社長の従兄弟にあたります。現在45歳。入社22年目。父は前社長の周仁氏の兄にあたりずっと酒造りをやってきた職人でしたが、純也さんは酒造りを仕事にする気は全くなかったそうで、コンピューター関係の仕事がしたくて(今でいうITですね)東京の専門学校を出たあと東京で夢を実現させていました。そこへ突然まさかの「帰島命令」だったそうです。しかも父ではなく周仁おじさんからですよ!何で??ですがそのあとはもう半ば強制的な(本人談)説得に負けて久米島へ帰ってすぐに酒造所へ就職。周仁おじさんから3年間しっかり酒造りを学べ、といわれて3年間全く休みなし!だったそうです。那覇の国税事務所へ日帰りで勉強に行くのは日常茶飯事。酒造りがこんなに大変な仕事とは思わなかったそうです。22年の間に会社はどんどん大きくなり現在工場にいる29名のトップの工場長を務めています。

 

 

周仁さんは仕事にとても厳しい人だったそうですがその分、とても情の深い人だといいます。今でこそ北は北海道から九州まで全国のコンビニの店頭に久米島の久米仙のボトルは販売されていますが、それは周仁さんが一日も休まず泡盛を抱えて全国を飛び回ったおかげといいます。泡盛ブームの頃には3人で全国を周っていたそうですからいかに多忙だったか!

 

 

現在工場では41アイテムの泡盛を製造しています。久米島の名水と言われる「堂井」ドウガー、の源流を流れる地下水をくみ上げ雑菌処理したあとステンレスのタンクに貯蔵した水を使用しています。一日の製造量がなんと一升瓶にして1万本!という凄さです!原料の洗いや蒸しなどは機械化されていますが最後はしっかり人の手で仕上げます。地下の古酒貯蔵庫には読谷で焼かれた南蛮荒焼の甕がズラリ!!圧巻です。どこを見渡しても業界№1!です。

 

 

 

久米島の久米仙を一躍有名にしたのはグリーンボトルでした。沖縄の若い人もまだあまり泡盛を飲まない時代に発売したグリーンボトルはあっという間に若い人に受け入れられ売り切れが続出したほどです。実はこのグリーンボトルは九州の焼酎メーカーが使っているボトルだったそうです。それに目を付けた周仁さんが交渉して使用許可をもらったとのこと。すごいです!追随して他の酒造所からもグリーンのボトルが販売されました。トップランナーであり続けるにはそれなりの努力があり、きっといくつもの苦難を乗り越えて今があるのだと思いました。

 

 

最近の話題はまるで瓶のようなペットボトルの泡盛です。紙パックからペットボトル、パウチなど泡盛の容器もどんどん変わってきました。時代を読みながら先へ先へ。売り上げが低迷している今だからこそいろいろなことにチャレンジしトップランナーとしての役割を果たしてほしいと思います。

*2020年にオリンピックが開催されます。沖縄発祥の「空手」を地元から盛り上げようと「空手」も新発売となりました。何と社員が2年前から構想を練っていたそうです!28歳から入社35年のベテランまで65名の社員が美味しい泡盛を届けるために働いています!!終わりに、純也さんが周仁おじさんから聞いた話として「よく売れていた頃には那覇の港に久米島からの船が着くと業者が泡盛を取り合っていた」そうです。そんなすごい時代があったんですねえ。純也さん、たくさんの楽しいお話ありがとうございました!

 

 

*久米島紬は日本の紬の原点です。沖縄本島から奄美大島を経て久留米、京都、と日本全国の紬の発祥の島です。取材のあと観光協会の平良博一さんが合流してくださり久米島紬や蚕の飼育方法の伝授?をしてくれました。すごく詳しくて楽しいお話ありがとうございました。泡盛と島の染織物は島の宝物です。

 

▼過去の記事はこちらから:「泡盛天使の酒造所めぐり」

 

ライター しもじけいこ

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