第2回 忠孝酒造(豊見城)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
忠孝酒造に行く時は絶対飲む!
理由は、蔵の中で「4日麹」の泡盛を飲みたい!という勝手な理由による。
それで取材は夕方からにして頂いた。
忠孝酒造は、46ある酒造所の中でも、抜きん出て個性的な酒造所だと思う。
現在3代目の社長・大城勤氏は東京農大で醸造学を学んだ研究者肌の人で、とにかくパワフルで楽しい!
週末の忙しい夕方に、社長直々に蔵も案内してもらい、美味しい泡盛を頂きながらの(希望通り)取材になった。
忠孝酒造の始まり
忠孝酒造は1949年大城酒造所としてスタートした。
今年65周年になる。創業者は大城忠孝。
創業した頃は、経営もきびしかった(どこの酒造所も大変だった)。
意を決した忠孝氏は、ランドレースという白豚を県内で初めて導入して、3,000頭の養豚を始めた。
泡盛を蒸留したあとに残る酒かすは、栄養たっぷりで、いい肉質の豚に育ち酒屋の経営を支える収入になった。
目の付け所がよかった。
酒より養豚で儲かったのに、酒造りをやめなかったのは、誇りと将来の展望だったのかも知れない。
やがて成人した息子・繁が2代目となる。
大城酒造所から、社名を創業者の名前の「忠孝酒造」に改名。
ここから、忠孝酒造の新たな歴史が始まっていく。
人生の物語を記憶していくお酒造り
先代の繁さんは、甕で古酒を造ることを始める。
造って売るだけの酒屋じゃなく、泡盛の醍醐味は何といっても古酒にあることを確信しているからだ。
甕に寝かせることで、熟成した美味しい古酒を造る!いや造らなければならない!と決めたのだろう。
ある時、旅行で訪れた「美濃焼き」の窯元で陶芸を体験した際、他の人たちよりもうまく「初めてにしてはスゴイ!」と褒められたそうだ。
これに気を良くしたのかどうかは別にして、「酒を寝かす甕は自分で造ろう」と決めたそうだ。
その時の作品は、今でもちゃんと大事に残っていて勤さんが見せてくれた。
それからは一直線!
失敗を繰り返しながら、とうとう自社甕が完成した!
一番大事な、原料の土にこだわったという。
泡盛の熟成に適している土造りが最大の課題で、試行錯誤を繰り返す中で完成したのが、島尻ジャーガルと琉球赤土をブレンドして泥にし、漉し粘土にしたもの。
大きな甕から小さなものまで、すべて自社製というから驚く。
繁さんは、社長を勤さんにゆずった今も甕を焼く。
工房には専門の職員が6人いてロクロをまわし、すべて手造り。1200度の温度で焼くのだそうだ。
(壷やなら陶芸家というのかも知れませんが)、酒屋なのに年に一度陶芸祭というものを開催するからほんとにスゴイ酒屋だ。
甕は「熟成文化の根底」だという。
今や多くの酒造所が、ステンレスのタンクで貯蔵熟成させている中で、あくまでも甕にこだわる。
平成18年には、忠孝南蛮荒焼き甕で、日本醸造協会技術賞を受賞した。
そして、ついには、甕を貯蔵するすべて木造の蔵まで建ててしまった。
しかも釘は一切使わないという徹底ぶり。
県内木造建築物では、首里城に次ぐ貴重な建築物となっている。
社長の勤さんに、案内してもらった。
2代目として
酒蔵に入ると、泡盛の香りと杉のいい香りが、なんともいえず気持ちいい。
クラシックの音楽が、邪魔しない程度の音量で流れていて、ほんとに癒される。
何段もの棚に並べられた甕は圧巻である。
忠孝の泡盛は幸せだなあ・・・幸せに育った酒を飲むと、きっと幸せになるに違いないと思わせる。
甕に入った酒は、ここで5年から20年熟成の時を刻み静かにその時を待つ。
私たちは、蔵をあとにしてホールに戻ってきた。
観光客の団体が大勢でにぎわっている。
売店コーナーには、自社のアイテムすべてが所狭しと並べられていて、お客さんは次々と手にとっていく。泡盛屋っていまこうなの??と驚きながら地下へ案内される。
そこもまたでっかい貯蔵庫なのだが、そこはお客様のお酒を寝かしてあるところで、何とあの「荒川静香」さんのお酒も!
子どもが生まれた記念に買ったお酒は、こどもの手形と足型も転写して保存する人もいる。
壁には大きな時計が時を刻んでいた。
地下から戻ると試飲コーナーのしゃれたカウンターに、蔵長の和美さんが宴会?の準備をしてくれていた。
和美さんは社長の妹。上品で知的な女性だ。
これからいよいよ美味しい泡盛に!!
新酒に5年酒に10年酒、そして15年酒に秘蔵酒が惜しげもなく次々と注がれる。
泡盛の取材でも、ここまで提供してくれるところはあまりない!
そして、念願の「4日麹」に出会う。
期待通りの、いや、以上の泡盛だった。
泡盛の未来を拓く社長の挑戦
勤さんは、将来酒屋の3代目になるべく、大学も東京農大醸造学科に進学。
あの有名な小泉教授の教え子だ。
卒論が「高温耐性泡盛酵母の分離と検索」という、いかにも難しそうな論文だ。
卒業後、国税庁醸造研究所で研究生活を送ったあと、35歳で社長に就任した。
忠孝酒造所の大きな特徴は、沖縄本島で唯一の地釜蒸留をしていることだ。
更に全酒造所でここだけに、泡盛醸造の博士号を持つ社員がいるのだ!
熱田和史さん。
私と同じ、宮古島出身と聞いて嬉しくなった。(しかもよく知ってる方のご子息だった。世間は狭い)
彼こそが4日麹の開発者なのだ。
泡盛は従来2日間かけて麹を作るのだが、倍の4日間にしたことで、酵素も多くなり、フルーティで香りのいいお酒ができる。
完成した泡盛は、果物のラ・フランスの香りがする。
お米は、洗ったあと水に漬けていたものを洗わずにそのまま水に漬ける方法。
これをシー汁浸漬法という。昭和30年代頃までは使われていたが、効率化を製造過程の衛生上の問題で次第に使われなくなったそうだ。
実際には先人たちの知恵はすごかった。
このシー汁浸漬法で、見事博士号を取得した。
これまでの泡盛の常識を覆すような研究が、新しい商品を生み出し、沖縄の宝である泡盛を、ドンドン進化させている。
大学で醸造学を学んできた勤さんだからこそ、ここまでできるのだと思う。
人を育て、泡盛を育て、みずからも常に 挑戦する心を忘れない!
この忠孝の土地そのものが、そういうパワーを秘めているのかも知れない。
マンゴー酵素で造った泡盛も美味しい!
期間限定の梅酒もおすすめ。
なんと忠孝オリジナル の「豆腐よう」まで作っています。
これがまた、なかなかの絶品です。
どこまで進化していくのか、これからの展開が楽しみな酒造所だ。
美味しい泡盛と楽しい話に、時が経つのも忘れ、気がついたら外はすっかり夕暮れ時でした。
編集長と友人たちとの飲み会に和美さんも参加してくれて、ほんとに楽しい取材でした。
(和美さんのお友達が友達のくにこさん、またまた世間がせまいを実感)
最後に
一時のような泡盛ブームが過ぎ、横ばい状態が続く中で、研究、設備、人材に積極的に投資していく姿は、沖縄の泡盛の魅力を知りつくしながらも、さらに進化を遂げていこうとする社長の人生そのもの。
毎年開かれる泡盛鑑評会では、受賞常連社であり、本人も審査員を務めている。
67年前、戦後の荒れ果てた沖縄で酒屋を起こし、苦しい中、養豚業をしながら会社を支え、2代目が切り開いてきた忠孝酒造は 、3代目で新時代を切り開いている。
和美さんは言う。子どもの頃は、学校から帰ると瓶を洗ったりラベルを貼ったり・・。
遊ぶより、働くのが当たり前だったと笑う。
家族が全員で紡いできた歴史が、美味しい泡盛を育てる原動力だ。
更に質の高い商品を造り、世界に出ていくのももうすぐかも知れない。
蔵の歩んできた歴史を知れば、泡盛への愛着も一段と沸いてくるから不思議だ。
-君知るや名酒泡盛ー
今回、会長の繁さんには残念ながらお会いすることができませんでしたが、相変わらず泥だらけになって甕を焼いているそうです。
またいつか、ぜひ訪ねたい。
酒造所の歴史はそのまま家族の歴史です。
(2014.10.22 掲載)