第24回 有限会社今帰仁酒造(沖縄本島今帰仁村)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
有限会社今帰仁酒造
県内に泡盛酒造所は47か所ありますが、地名がそのまま会社名になってるのはここだけです!
みなさん「今帰仁」って読めますか?
「なきじん」と読みますが私も読めるようになったのは多分20代になってからだと思います。沖縄にはとても普通?では読めないような地名、人名が数多く存在します。
そのうちのひとつが今帰仁です。名前の由来は諸説ありますがその昔、北の方から来た新来者のことを「イマキ」と呼んだからとか、古い言葉で「魚が来て住む所」をさす「ナキズミ」からきたとか、色々ですが1700年代にはすでに今帰仁と呼ばれていたようです。
今帰仁村のシンボルでもある世界遺産の「今帰仁城」は、沖縄が琉球王朝時代、三山(北山・中山・南山)に分かれていた頃の北山王の城跡です。
ちなみに首里城は元は中山王のお城でした。3山が統治されて首里城になりました。
今帰仁酒造は歴史の由緒ある場所にあります。
11月も終わりだというのに、まだ暑さが残るやんばる路を抜けて、サトウキビ畑を抜けた所に大きなステンレスのタンクが目立ちます。
今帰仁酒造所は1948年「大城酒造所」として創業開始。今年創業60年の酒造所です。
最初の商品は「まるだい」。丸の中に大城の「大」が書かれていて、現在も販売されています。
その後、1972年、沖縄が日本に復帰した年に「今帰仁酒造」に変更します。
そして2014年に現在の有限会社今帰仁酒造に社名変更しました。
社長は3代目の大城洋介さん。
今回は、入社10年目、今帰仁出身の上里賢二さんにお話を伺いました。
泡盛通の人なら誰でも知ってるのが「美(うるわ)しきふるさと」です。
1981年に業界初の20度!という泡盛を製造販売しました。爆発的なヒットでその後の泡盛業界の「マイルド」化の流れをつくりました。
独特の味と香りを持つ泡盛が、「昔の泡盛」ではなく新しい時代の味に変わっていく時代の挑戦者だったとも言えます。
近くには、平敷湧水(ピィシジャー)と呼ばれる場所があり、水も豊富な自然豊かな場所で造られる泡盛は、香りもよく味もふくよか。
地下水とダムの水で造られる酒は、新酒でも1年以上寝かしたあと出荷します。
商品に付けるネーミングもちょっと違います。「美しきふるさと」、「千年の響き」、「天使の夢」などなどでかなり楽しい。
先代の社長はネーミングを考えるのが好きだったそうで、なるほど!です。
上里さんは現在37歳。今帰仁で産まれ育ちました。
都会でサラリーマンを経験した後、26歳で帰郷し今帰仁酒造に入社しました。今年10年目。
入社のきっかけは、泡盛製造がしたいというより、故郷に貢献できる仕事がしたかったからとか!!
現在、営業を担当。
月に半分は東京などへの出張の日々ですが、すごくやりがいがあって楽しい!といいます。
東京などでは今帰仁出身者との飲み会もあり、「みんなが今帰仁酒造の酒をPRしてくれる」ので、ほんとにありがたいと思うそうです。
故郷を思う気持ちが、故郷で造られる酒に寄せられているようで、「故郷は遠きにありて思うもの」かも知れませんねえ。
今帰仁酒造の泡盛は、今帰仁村のふるさと納税の返礼品にもなっていて、全国にファンが多い酒造所です。
シンボルとなっている大きなタンクは10万リッターが11本、7万リッターが1本、5万リッターが12本もあります。
4年前から100年後に向けての取り組みが始まっています。現在社員45名。それぞれの持ち場や担当の垣根を越えてみんなでいろんなことを話し合っていろんなことを決めて取り組んでいるそうです。
若いパワーが溢れてこれからが益々楽しみな蔵です。
今帰仁といえばスイカもあぐー豚も有名。今帰仁酒造の泡盛とセットのふるさと納税の御礼はすごい人気だそうです。今帰仁城址におでかけのついでに、今帰仁酒造所へも寄ってみてはどうでしょうか?
*上里さん、那覇マラソン完走おめでとうございます!
お疲れ様でした。足、お大事に!ありがとうございました。
有限会社今帰仁酒造
住所:〒905-0401 沖縄県国頭郡今帰仁村仲宗根500
電話: 0980-56-2611
(2017.1.20 掲載)