第36回 泰石酒造(沖縄本島うるま市)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
日本最南端の清酒の酒造会社
県内には現在46の酒造所があります。
沖縄の酒といえば当然泡盛ですが、うるま市にある泰石酒造所は清酒造りからスタートし泡盛、リキュールなど5種の免許を取得して酒造りをしています。
現在泡盛は製造していませんが沖縄で唯一清酒を製造している珍しい酒造所です。
2代目の安田泰治さんにお話を伺いました。
創業は1952年。今年65周年になります。創業者の安田繁史氏は地元の農家で生まれました。
大学に進学したかった繁史は家が裕福ではなかったため、嘉手納農林高校を卒業すると、東京に出てアルバイトしながら大学進学のため必死に働いたといいます。
そして岩手大学に進学し、そこで 「農芸化学科」で醸造学を学んだそうです。
なぜ、こんなに苦労して酒造り職人になりたかったのか・・ はよく知らないとのことですが、小さい頃からの「夢」があったと思います。
大学を卒業し故郷に戻ったものの徴兵にとられます。
戦後は宮崎大学で教鞭をとっていました。宮崎には事業で成功していたおじさんがいたので、頼って行ったのではないか、といいます。
宮崎の大学で助教授の職にいた繁史さんに、琉球大学から声がかかりましたが、「当時の琉球大学には研究に必要な器材などが不足 していたため」 断り、その後、自ら酒造所を立ち上げ、
清酒の製造をスタートし後に泡盛の製造も始めました。
事業で成功していたおじさんはじめ、他8名の人たちの投資によって会社をつくり創業開始します。
当時は酒を造る米などは手に入らないため、サトウキビを絞ったあとの糖蜜で製造していたそうです。
しかも、機械も自力で造ったという からかなりの知識と技術がないととてもできないことです。
大学で学んだ知識もありますが、清酒を造るには平均気温が高い沖縄ではなかなか難しく、
長崎県の「黎明酒造」との技術提携が実現し、独自の冷却装置の開発で、ようやく沖縄で清酒造りを成功させました。
創業当時は社員が60名もいたそうですから、かなり大きな酒造所だったわけです。
1952年に創業を開始し酒造りを始めますが、泡盛、焼酎、リキュール、清酒、みりんなど5つの製造免許を取得し、会社の規模も徐々に大きくなり離島までも出荷していました。
ちなみに、宮古島の代理店を引き受けてくれたのは、サンエー創業者の折田喜作氏だったそうです。
折田喜作氏は戦後、宮古島の平良下里通りでオリタ商店を開業していました。
現在跡地はグループ会社の 「ジョイフル」 になっています。意外な所で宮古島とも縁がありました。
沖縄唯一の清酒が、離島までも出荷されていたのが驚きです。
現在、泡盛の製造免許は国税に返納し、泡盛の製造はおこなっていませんが、沖縄で唯一の甲乙混和酒「はんたばる」を製造しています。
混和酒とは泡盛が49%、焼酎が51%の酒で、沖縄では泰国酒造だけに認められているそうです。
泡盛は製造してないので、他の酒造所から原料を調達して製造しています。
銘柄の「はんたばる」の名前の由来は、うるま市にある地名から。
昔、多くの民謡などが生まれた場所で地域住民の社交場だったようです。
古き良き時代に思いを馳せて命名したとのことでロマンを感じます。
2代目の泰治さんに今後の夢を聞いてみました。
最南端の清酒造りにおいて、今後は沖縄産の米で清酒を造りたいと思い、来年くらいには試験的に製造してみる予定です!と話しています。
泡盛の製造免許は返納したあとの「再交付」は認められていないため、泰国酒造所が泡盛を製造することはないと思いますが、もし、時代の変化の中で可能になるチャンスがあればまたぜひ泡盛も製造 してほしいと思います。
沖縄で清酒?日本酒?という珍しさもあって、近年は観光客の方にもジワジワ人気が出てきてるそうです。また、移住されてきた方や本土企業の方たち、飲食店からの注文も徐々に増えているそうです。
国内や外国からの観光客が過去最高を記録し、本土企業の沖縄進出もめまぐるしく、移住する人口も増えています。
県内の居酒屋などにも焼酎、日本酒の銘柄も増えてきました。沖縄生まれの清酒黎明はこれからジワジワ浸透していきそうです。
取材中もひっきりなしにお客様がお見えでした!
家族だけのあっとホームな酒造所ですが、「日本最南端の清酒の酒造所」です。
機会があればぜひ 沖縄生まれの清酒も飲んでみてください。
泰治さん、長い時間ありがとうございました。
泰石酒造株式会社
〒904-2221 沖縄県うるま市字平良川90
TEL:098-973-3211
URL http://www.taikokushuzo.com/
(2018.2.27掲載)