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第6回 高嶺酒造(石垣島)

 

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

 

 

悠久の自然に抱かれる酒造所


 

石垣島で一番美しい!といわれる「川平湾」。
あの岡本太郎氏をして「いかなる画人の詩情をもってしても、その表現が困難である」と言わしめたほど。
国指定の「名勝地」で太陽の光や雲の流れ、時間帯によって海の色が変わり見る人を感動させ楽しませる場所。

 

 

 

高嶺酒造はそのほとりにあり、近くに黒真珠の養殖場、ちょっと行くと高級リゾート「クラブメット」がある石垣島有数の観光地でもある。
入り口には昔からの井戸があり、大きなガジュマルの木が久しぶりにふるさとの実家に里帰りしたような、懐かしい雰囲気をかもし出している。

 

 

 

工場の建物の入り口を入ると、すべてガラス張りで作業も丸見え。奥で手作業でラベルを貼るスタッフの姿も見える。
誰でもいつでも自由に入って見学できるというから、かなり大らかというか自由度の高い酒造所だ。
廊下の壁の上のスペースには、お酒を預けてあるお客様の名札がびっしり張られていて圧巻!
現在約5千名名余の方たちがお酒を預けておられるそうですが、名札を張るスペースが足りないのが目下の悩み?とか。
私も友人、知人の名前を見つけました!!

 

 

 

高嶺酒造の歴史


 

1949年、高嶺英三氏によって創業され、現在は3代目の聡史氏に受け継がれている。
家族を中心に、たった8名という小さな酒造所だが、会社の規模とは裏腹に「高嶺」の名は、全国に広く大きく知れ渡っている。
高嶺が有名なのには理由があって、今でも昔ながらの製法「直火式、地釜蒸留」で酒造りをしているからだ。

 

 

すべて手造りで手間隙かけ時間をかけてじっくり酒を造る。
この製法で出来た酒は、二日酔いの成分といわれる「アセトアルデヒト」がかなり減るので高嶺の酒は二日酔いしない酒!と定評で全国にファンが多い。
今でこそ安定した経営の高嶺酒造でも、英三氏の時代には他の酒造所と同じく、経営が苦しく養豚業で酒造所の経営を支えていた時代もあった。
英三氏のあと、四男の善伸氏が社長に就任。
善伸氏は活動的な人で、学校のPTAの役員や石垣島の市会議員もやっていたが、沖縄県の議会議員に当選し石垣島を離れることになったため、長男の聡史さんが2009年に那覇の会社を退職して3代目の社長に就任した。
工場では、善伸氏の兄の善都氏が、杜氏として酒造りを担っていたので、特に支障はなかった。
現在は、高齢になり引退して、善都氏の息子さんが杜氏を務めている。
聡史氏の弟の亨史さんが工場長で、事務所は妹と母が担っている。
文字どおりの家族経営である。家族経営なので酒も造れば配達もするし何でもしますよ。という。

 

 

 

聡史さんが社長になった頃は、市内から遠く離れた川平にある高嶺の酒は、まだまだ無名で石垣市内の飲食店でも置いてある店は少なかったそうだ。
それで1軒1軒まわり、自分で飲んでいたそうだが、そんな営業は長続きするはずもなく・・・、友人、知人の口コミに頼るしかなかったそうだ。

一人でも多くの人に「まずは高嶺の酒を飲んでもらえるようになれば・・」と、たった1本でも宅配したというから仕事の量は半端じゃない。
工場の仕事が終わったあとは、石垣市内までも配達するわけだから、帰りはいつも夜中になった。
工場の仕事を覚えるのも、ほんとに大変だったそうだ。

 

 

受け継がれる技術と魂


 

2代目社長、善伸さんの経営哲学は「ナンバーワンにはなれないがオンリーワンになろう!」だった。
初代から受け継いできた、昔ながらの製法にこだわり、直火式地釜蒸留法で作った泡盛は次第に知れ渡り、今では日本名酒会のお墨付きの泡盛になっている。
工場は、昔からそのままで、コンクリートの壁も天井も黒?で真っ黒!(決して汚れているわけではありませんからご安心ください。)
みんなで話し合って工場を大きく増築しないよう決めたそうだ。
もう壊せないのだと笑う。モッタイナイです!

 

 

 

そんな風にして日々の惜しみない努力のおかげで「たかみね」の酒は多くの泡盛ファンの心をつかんで行った。
2年に一度、11月1日の「古酒の日」に感謝祭を開催している。お酒を預けてある方々にはがきを出して、参加者を募り公民館貸切で行う。
料理あり芸能ありで約200名が参加する。
またこの時期は、石垣島祭りも開催されることから、参加者は2度の祭りを楽しめるので大満足のようだ。
参加者は飛行機や宿泊代、参加料を払って参加するのだからいかに楽しみにしているかが伺える。

 

 

誇りを持って造る酒


 

聡史さんは言う。
これからも技術をしっかり継承していい泡盛を造ること!
美味しく飲んでくれるお客様に、感謝をする心を忘れないこと。
年に数回は本土にもでかけ、高嶺ファンのみなさんとも交流する時間を持つ。
無名の酒屋の酒が、今や全国にファンを持つようになった。
それはまた造り手にとって、大きな自信と誇りにつながる。
ずっとこのまま直火式地釜蒸留にこだわり、酒造りをやっていく!と決めている。

 

 

同時に泡盛の将来についても「どうすれば県外で売れるのか」ということも常に考える。
古酒造りにもこだわりたい!泡盛の仕次ぎ文化にもこだわりたい!
課題は山積みで、輸送コストの問題もある。
最近の泡盛の紙パックの導入について聞いてみた。
「うちのような小さな酒屋は紙パックにしたら、酒を今よりも高く売らないといけなくなります!だからやりません」
と明快に答えてくれた。
みんなが紙パックにしていくと段々「瓶」が足りなくなっていく心配もあるという。
泡盛業界の課題は多い。苦労話を含めいろんな話をお話していただいた。自然体で、気負いもなく爽やかな楽しい社長だ。

 

 

 

高嶺と福島をつなぐ「三拝伝」


 

縁あって、福島産のお米で泡盛を造り2009年に福島空港で販売した。泡盛 1000本、もろみ酢1000本完売。
その商品の名前が「三拝伝(みーふぁーゆー)」。
福島県石川郡の住民の方々が「八重山会」を作り、交流もしていた矢先に、あの、東日本大震災が起きた。
泡盛どころの話じゃない!と福島での販売をやめたのは聡史さんだった。
迷惑をかけたくないという思いだった。
福島のみなさんは「気にしないで」と言われたそうですが、やはり気乗りがせず現在休止している。
でもいつか、福島のみなさんへの恩返しと復興への願いを込めて「三拝伝」の販売を再開できればと思っている。

 

 

お米が取り持つ縁。
泡盛でできる支援もあると思っている。再開を楽しみにしたい。
石垣島の於茂登連山を望み、岡本太郎氏をうならせた川平湾のほとりでゆっくりと、悠久の時を刻み熟成の時を待つ泡盛。
今では貴重な「直火式地釜蒸留」の酒は出会えたことが幸せだと感じられる泡盛だ。

 

 

 

取材を終えた夜は市内の居酒屋でJTAのメンバーも交えての打ち上げ飲み会。
みんなで「於茂登」を軽く4本は飲みました!!誰も二日酔いしてませんでした!不思議な酒です。
「三拝伝」!!

 

(2015.2.23 掲載)

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