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第32回 渡久山酒造(宮古島市 伊良部島)

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

 

 

 

 

 

人口5万人余の宮古島には3つの大橋があります。

古い順に池間大橋、来間大橋、そして伊良部大橋です。

架橋の話が出てからおよそ40年で実現した念願の橋です。

宮古島には6つの酒造所がありますがそのうち2つが伊良部島にあります。

池間島にも来間島にも酒造所はありませんが伊良部島には2つもあります。

今年創業71年を迎える渡久山酒造所を訪ねて、4代目杜氏の渡久山研吾さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

渡久山酒造所は1946年、伊良部島出身の渡久山知章氏によって創業を開始します。

遠洋漁業で盛えた島ですがサトウキビなど農業も盛んな島です。

酒造廠は最初から米で造ったわけではなくサトウキビや粟などを原料にしていたようです。

2代目が知照さん、3代目が毅さんと継承します。現在も毅さんが社長を務めています。

毅さんは酒造所の経営の他、伊良部農協組合長も長年務めていました。現在も農協に関する事業所で役職に就いてるそうです。

もともと農家のためか酒の名前は「豊年」で酒造所の主力銘柄です。

 

 

 

 

現在杜氏の研吾さんは、少し変わった経歴の持ち主です。

42歳の研吾さんは、毅さんの2男で「もともと酒屋を継ぐことは考えてなかった」そうです。

地元の高校を卒業するとアメリカに留学します。何と「テレビで見た同時通訳がカッコよくて憧れて」の渡米だったそうです。

2男だったこともあり親も了解したのかも知れません。が、そんな研吾さんに転機が訪れます。

留学を終え東京の貿易会社に勤めていた頃、祖父が(知照氏)が入院します。

祖父は常日頃から「島の事、家の事を忘れちゃいかんよ」と言ってたそうです。

研吾さんの兄も家業の酒屋を継がず、すでに医療関係の仕事に就いていました。

祖父の見舞いに帰島した際、父、毅さんは何も言わなかったそうですが母や親せきからは「帰ってきて酒屋を継がんと!」と言われ悩んだ末に帰ってくる決心をしたそうです。

研吾さん25歳の時です。父について酒造りを学び17年になります。まだまだ修行中ですよ!自然体の研吾さんです。

 

 

 

 

研吾さんには、もう一つの顔があります。何とトライアスロン大会に連続13回も出場するアスリートなんです。

高校時代はハンドボールの選手だったそうですが、トライアスロンに出場するきっかけはというと意外な答えでした。

「大会の通訳ボランティアを募集していたので役に立てればと思い自分で応募した」そうです。

何年か通訳ボランティアをしていた時、伊良部島出身のアスリートの方から「大会に出たらどうか?」と熱心に誘われたそうです。

とは言っても水泳、自転車、マラソン、そんなことが自分に出来るのか・・するとその人が毎日一緒に練習と指導をしてくれたおかげで半年後の大会に初めて出場し完走!!

それ以来13回連続出場!というアスリートになっています。

島の商工会にも参加し友人、知人、仲間も増え結婚し子どもも生まれ父となり酒造りも一層励んで行くようになります。

2001年、宮古空港30周年記念事業で空港ターミナルから空港限定の泡盛「 鸇」(サシバ)を池間酒造所と共同開発を、という依頼があり(「鸇」はスタートから池間酒造所が製造しています)。

新たに「 鸇・瑠璃」を製造しています。瑠璃と名付けたのは好きな色が「瑠璃色」だったからとか。昔、海の底から見つかった酒の入った壺は瑠璃色だった!という言い伝えもありますが・・。

 

 

 

 

「古酒7年・渡久山研吾」発売して話題に!

自分の名前を名前に??日本酒では杜氏の名前が商品名になるのは時々聞きますが泡盛ではおそらく初めてではないでしょうか?

研吾さんに聞くと「恥ずかしいですからやめてください・・と大照れです。

なぜ?こんなことに?ことの真相は、昨年沖縄県の「離島マーケティング事業」に採用されて、県外出荷限定での商品開発をし、ネーミングがなかなか決まらず泡盛の流通を手掛ける問屋さんの提案だったそうです。

都心での沖縄物産展などで展示販売したところ、意外さと面白さ?で500本完売したそうです。今後販売予定は?ないそうです。残念!

 

 

 

 

伊良部大橋が開通して宮古島は過去最高の観光客数を更新しています。

宮古島に来られる人の多分100%は伊良部大橋を渡って伊良部島に行くと思います。

「橋が開通して泡盛の売り上げはどうですか?」聞いたところ、ほとんど影響が「ない」という答えでした。

伊良部島は「素通り観光」の解消が課題で商工会でもアンケートを取ったりして課題の解決に向けて取り組みを始めています。特産品の開発を含め泡盛メーカーとして異業種とのコラボも必要だと考えています。

これから高級リゾートホテルの建設も始まり伊良部島は一気にリゾート地へと変貌を遂げようとしていますが、橋が架かったことで過疎化も進み学校の問題も出てきています。

 

 

 

 

これから10年後の伊良部島について聞いてみました。「40代の私たちはあらゆる意味で責任世代だと思います。この島で子どもたちも育てていかなくてはいけませんから観光地としてどう発展させるか、また移住してくる人たちとどううまく共生していくか、素晴らしい伊良部島を次の世代にどう引き渡していくか、考えていきます」と答えてくれました。

島愛!半端じゃありません!

これから渡久山酒造所の4代目としても伊良部島を引っ張っていく責任世代としても飛躍してほしいと思います。

伊良部島へ行かれた時はぜひお訪ねください。

 

 

株式会社渡久山酒造所


 

沖縄県宮古島市伊良部字佐和田1500

TEL 0980-78-3006

 

 

(2017.10.30掲載)

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