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第31回 瑞泉酒造(沖縄本島那覇市)

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

 

 

 

奇跡の泡盛が復活した蔵へ

6月のある日。たまたま着けたテレビに映し出されたのは、泡盛の酒造所。
地元テレビ局が制作した「御酒物語・瑞泉酒造130周年記念番組」だった。

戦争で壊滅状態になった首里、泡盛菌も壊滅した首里で60年の歳月を経て、「奇跡の泡盛」が誕生した。その名は「御酒」。瑞泉酒造は泡盛業界に希望をもたらした。

夏本番を迎えた7月下旬、首里崎山の瑞泉酒造所を訪ねました。
今年創業130年、6代目社長、佐久本学(がく)さんにお話を伺いました。

 

 

 

 

瑞泉酒造所は首里城のすぐ近くにあります。
首里城の第2の門を昇る階段の途中に湧き水が滔々と流れる「瑞泉」という泉があります。そこから瑞泉と命名したそうです。

瑞泉酒造の前身は「喜屋武酒造所」で琉球王国時代、泡盛造りが許されていた首里3箇所のひとつ崎山町にあった酒造所です。
後に佐久本酒造所になり、瑞泉酒造となります。喜屋武家の娘と咲元酒造所の息子が結婚して、喜屋武家の酒造所を継いだというわけですが、最初から酒屋を継ぐために結婚したわけではありません。
喜屋武酒造所の初代・幸永氏が若くして逝去し、妻のナエが切り盛りしていましたが、後に娘婿の佐久本政敦氏に引き継がれました。政敦氏の実家は現在の咲元酒造所です。

 

 

 

1887年(明治20)に創業した喜屋武酒造所ですが、1935年には佐久本酒造所になりその後、瑞泉酒造所となりました。
首里の町には40件ほどの酒造所があったといいますから、現在の4件を考えればいかに盛況を極めていたか・・・。しかし、1935年に戦争が始まり、空襲に襲われ3か月に及ぶ地上戦で首里城のあった首里の町は壊滅状態になり当然泡盛菌も壊滅してしまいました。

酒は造れなくなり1944年から50年まで休業に追い込まれました。創業を再開したのはやっと1951年でした。

1945年に終戦になり沖縄はアメリカの施政権下に置かれます。

世はウィスキーの時代でした。泡盛業界はきびしい冬の時代になり廃業する酒造所も多く出ました。

1972年、沖縄は本土復帰します。ようやく人々がウィスキーより泡盛を飲むようになり泡盛に注目が集まり始めていきます。

 

 

 

 

まぼろしの黒麹菌発見!「御酒」うさき・誕生!

泡盛業界で「神様」と言われている人がいます。発酵学の世界的権威だった東京大学の名誉教授だった故・坂口謹一郎氏です。
坂口博士は戦前1935年頃から数回沖縄を訪れ、68の酒造所から約620株の黒麹菌を採取して持ち帰りました。
戦争になり東京でも空襲が始まった時、菌を守るため東京から故郷の新潟に「菌を疎開」させていました。
戦後、大学の研究室に戻されましたが、いつのまにか研究で使われることもなく、研究室の棚にひっそりと置かれていました。
その間、幾度か「処分の対象」になったものの奇跡的に処分を免れてきました。

 

そして1998年、6月、朗報がもたらされます!
東京大学の研究室に坂口教授の黒麹菌が残っていることを確認!
これは、坂口教授の著書を読んだ共同通信社の記者が、著書の中で記載されているのを見つけたことでした。
残念ながら残っていたのは68酒造所のうちの14酒造所、620株のうちの19株、わずか3%!
そして14酒造所のうち操業していたのは瑞泉酒造とあと1社だけでした。
黒麹菌はアンプルの中で60年間、胞子が仮死状態のような状態で保管されていたそうです。これは奇跡でした!
泡盛の神様からの尊い贈り物です。

 

 

 

発見から5月後の11月、佐久本氏は「この菌で泡盛を復活させる」ことを決意します。
そして12月の暮れ、東京大学での培養・分離に成功してやっと故郷に、瑞泉酒造に帰ってきました!
そこから瑞泉酒造の全社員が一緒になって復活に向けた作業に取り掛かっていきます。
しかし一難さってまた一難で半年後の6月1日、やっと蒸留にこぎつけます。

 

最初に1滴を口にした佐久本氏は感無量で「昔の酒よりうまい!」といい、この酒に余計な名は要らぬ!と「御酒」と名付けました。
当初は販売する予定はなかったものの、マスコミに大々的に取り上げられると「一度飲んでみたい」「買いたい」という声に押され、販売を開始します。
戦前から生き続けた「瑞泉菌」だけで製造されているのが「御酒」なのです。

 

佐久本氏はじめ、東大の研究室、杜氏、社員、関わった多くの人たちの情熱が奇跡を生みました。瑞泉酒造は奇跡の泡盛を復活させた蔵なのです。
時代が変わっても泡盛への情熱は変わりません。首里本社だけでは手狭になり郊外に貯蔵庫を増設。1976年には世界的なバイオリニスト・千住真理子さんを招いて酒蔵コンサートを開催。
泡盛にクラッシック音楽を聞かせるといいよ!というちょっとしたブームもありました。今は蔵が満杯でコンサートが出来るスペースがないそうです。残念。

 

6代目として


 

 

 

 

学さんは県内の金融機関でサラリーマンを経て2002年に入社。2012年に父の跡を継ぎ社長に就任しました。48歳、若い社長です。
現在社員は45名。県外、海外への出荷も積極的に取り組んでいます。毎年7月の第一木曜日は、東京で「瑞泉古酒の会」を開いていて、毎回約300名余が参加する盛況ぶりです。
海外へはこれまで22ヵ国に出荷の実績を作っています。
このところ泡盛の出荷量が落ちていることについては、「若者が飲まないのは当たり前です。なぜなら私たちも泡盛の歴史や良さ、飲み方もしっか伝え切っていないからです。」
という明快な答えが返ってきました。

 

6代目の覚悟、使命を聞きました。
まず、作り手として、いい酒を造るのは当たり前です。
家業から企業へ!そして人材育成です。
泡盛は、人と人をつなぐコミュニケーションツール! 社員とみんなでワイワイ楽しく飲むこともよくあります。 社員と飲む時は無口になります。意見を聞く事に徹します。ワクワクします!」 と明るい答えです。

 

 

 

老舗という看板に甘えず、しっかりと時代を見据えながら泡盛と向き合う、真摯な誠実さが伝わってきます。 これから若い世代が社長になる時代です。泡盛業界の未来はきっと明るい!そんなことを感じました。
お忙しい中、長い時間お付き合いくださりありがとうございました。
首里城の近くにある酒造所なので取材中も見学のお客様がひっきりなしに訪れていました。少ない人数なら予約もなしで受け入れてくれるオープンな蔵です。ぜひ訪れてみてください。

 

 

 

 

泡盛会社と気づかなければ住宅街のちょっとおしゃれなカフェ!と思うような緑の木々に囲まれた酒造所です。

 

*130周年記念番組はユーチューブでも見ることができます。また、瑞泉酒造の詳しい歴史は佐久本政敦氏の著書「泡盛とともに」に記載されています。

 

 

瑞泉酒造株式会社


 

沖縄県那覇市首里崎山町1-35

TEL 098-884-1968

URL: http://www.zuisen.co.jp/

 

 

(2017.9.6掲載)

 

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