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第13回 請福酒造(石垣市)

 

当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。

 

 

 

相変わらず観光客で賑わう石垣空港から請福酒造へ!
以前ラジオの取材で訪れて以来です。
その頃は会社が新川にあり、2代目専務の漢那恵子さんが会社内にオープンさせた「蒸留所」の取材がメインだった。
すごくパワフルな恵子さんをよく覚えています。
会社は現在新石垣空港の近く、宮良に移転しています。

 

 

 

元、パイン工場だったというだけあって広さに圧倒されます。
2011年から本社を移転し、昨年売店も移転しています。
11年前東京から移り住んで現在請福酒 造で店長を務める清水若土(わかと)さんにお話を伺いました。

 

清福酒造誕生秘話


 

請福酒造所の前身は「漢那酒造」。
昔の新川村で農業や運送業を営んでいた漢那憲福と文江夫婦によって創業。
その誕生の仕方が、実に愉快というか豪快というか。

ある日、二人は散歩しながら、高い煙突からモクモク上がる煙を見て「将来こどもたちが一生やっていける仕事をつくらないといけないねえ・・」と思ったという。
その煙は、石垣島で一番大きな造り酒屋の煙突から出ていたものだった。
酒は造って置いていても腐らないしねえ・・そうだ! 酒屋をやろう!と決めたといいます。

しかし技術も知識も道具も何もナシ!それでその酒屋に出向き「銭湯を作りたいから古い煙突を譲ってほしい」と、何度も出向きとうとう中古の煙突を1本手に入れることができた。鍋や釜などは自分で作った。

 

 

税務署に酒造りの免許をくれるよう日参し、いろいろ準備をしているうちに、気がついたら酒屋の開店のために貯めていた貯金が底をついたというから何とも豪快というか・・・。

 

その間、妻の文江は酒造りを学ぶため鹿児島の焼酎メーカーに住みこみで修行したというから、妻の文江もまた豪快というか、度胸のかたまりというかです。
そうしてついに酒造りの免許がおりて、いざ開業となった時は原料お米買う資金もなくなっていたのそうで、文江の嫁入り道具や着物を売り払って何とか開業にこぎつけた。

 

1949年、漢那酒造は誕生した。当時は酒造りが官営から民間に開放された時で八重山だけで酒屋が48軒もあったというから競争も大変だったと思います。
「銭湯をやるから」と言われて煙 突を売った酒屋は何とおもったんだろう・・と考えると、なかなか楽しい。

 

 

二代目に引き継がれる情熱と努力


 

夫婦はとにかく朝から晩まで、夜中まで働いた。息子も一人前になったからと1968年に憲仁が2代目となりました。
憲仁はとにかく「泡盛を極めたい!」という強い気持ちを持っていたといいます。
寝ても覚めても泡盛の事ばかり考えていたそうです。

 

 

 

妻で専務の恵子さんのエピソードです。朝起き ても歯磨きの前に「味見」、ご飯のあとも「味見」、トイレから出てきても「味見」攻撃の日々。
身内だけでなく友人知人、最初はタダで酒が飲めると 喜んでいた人たちも、段々「味見」攻撃にウンザリした、というくらい酒の味が気になって仕方ないという人だったそうです。

 

 

 

またある寒い冬の日。
家中の暖房器具を全部工場に持ち込むので恵子さんが反対すると、人は毛布をかぶればいい、麹が死んだらどうするんだ!」と言ったというから、ほんとにスゴイ情熱があったんだといことです。

憲仁の口癖は「人が求める美味しさには限りがない。だから酒造りにも限りがないんだ!」

1992年、会社名を請福酒造に改名します。
請福は新川の豊年祭の旗頭の名で、地元の長老から「許可」をもらったといいます。

 

 

ヒット商品誕生


 

日々の努力がついに実を結び1983年、業界初の「減圧蒸留式泡盛・請福マリンボトル」が誕生します。
この酒は八重山だけじゃなく沖縄中で売り出され、「泡盛の革命」と言われるくらいの評価をうけ、爆発的なヒット商品となり請福酒造はの名は一気に広まっていきます。
努力家、アイデアマンとの評 価の一方で奇抜な人、などといわれていたらしいのですが本人は全く気にせずひたすら泡盛造りに打ち込んでいた。

 

 

 

ボトルに酒の名前、会社名、電話番号などを印刷するというのも業界で初めてというから、アイデアと実行力もスゴイ。
順調に成長してきた会社も、他の酒造所と同様時代の変化で、厳しい冬の 時代を迎えます。
そんな時期でも、研究を怠ることなく、2001年に「直火釜蒸留器」を独自に開発し、新商品を販売します。それが「直火請福」です。
現在でも多くのファンがいる、請福の看板商品になっています。

 

 

3代目に


 

長男の憲隆が東京農大醸造学科を卒業して入社。
2009年、3代目に就任します。若者らしい感性で次々新商品を生み出しています。
梅酒の他、生姜や珈琲を使ったリキュール、今年6月には「梅フレーバーワイン」を発売。オシャレなラベルで味もフルーティ。
梅と泡盛の香りが絶妙のバランスで 口あたりもさわやかです。
泡盛が苦手な人や若い女性に好まれるかも。

 

 

 

その他、沖縄の芸人さんたちとのコラボ商品も販売。
泡盛の古酒の100%表示はずっと以前から取り組んでいて、売店に10万円もする古酒ビンテージ泡盛も展示しています。

 

 

 

石垣空港からも近いのでぜひお立ち寄りください。

 

 

余談


 

会社の移転で、旧請福酒造内にあった手作り泡盛蒸留所「漢那蒸留所」もなくなってしまい、恵子さんは島野菜を作りながら自給自足の悠遊自適な生活おくりつつ、
お味噌造りを楽しんでいるとか。
今回は残念ながらお会い できませんでしたがそのうち「酒屋の女将のお味噌」が誕生するかもしれません。請福も女性たちの愛情とねばりと優しさがいっぱい詰まった酒造所です。
清水さん、お忙しい中、長い時間お付き合いくださりありがとうございました。美味しいお酒もいっぱい頂きました。

 

 

 

(2015.11.30 掲載)

 

 

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