第9回 新里酒造(沖縄市)
当記事は2018年2月28日にサイトクローズした「美ら島物語」で公開していた記事です。
沖縄で一番古い酒造所
現在沖縄には47の酒造所がありますがその中で「最古」の酒造所が新里酒造所です。
かつて沖縄が琉球王朝だった時代には酒造りは王府の管理下にあり首里の3箇所、崎山、赤田、鳥堀でのみ製造されていました。
そこには焼酎職と呼ばれる職人(今で言えば杜氏でしょうか)30人から40人がおり薩摩や江戸幕府への献上品とされていました。
徳川家康の娘の結婚の際には「薬」として嫁入り道具の一つになっていたという話もあります。
泡盛という名称が始めて登場したのは1671年、江戸幕府への献上品の「お品書き」だといわれています。
新里酒造が誕生したのが1846年ですから その165年も前の話です。いかに泡盛の歴史が長いか・・
600年という長い歴史を持つ泡盛です。
新里酒造は現在6代目の新里修一さんが社長を務めています。創業者は王朝時代に焼酎職の一人だった「新里蒲(カマ)」。
泡盛造りが王府の管理から民間に開放 された際に王様から許可されたのだそうです。
沖縄市にある本社の応接室の壁には創業者の肖像画(写真ではない)と、かつて首里三箇にあった赤瓦の屋根が連なり煙突が立ち並ぶ酒造所が描かれている画家・新城喜一氏の「失われた沖縄風景」が掛けられていて感動しました。
6代目社長の修一氏に話を伺いました。
首里・赤田で創業した新里酒造は大正13年に那覇市・若狭に移転。
2代目の康昌氏はとにかく商売がうまく砂糖や石炭販売などで財をなし「沖縄一の高額所得者」 だったといいます。
その頃はまだ新里酒造所という会社名ではなく、屋号のカネコウで「カネコウの酒」呼ばれていたそうです。
カネというのは建築資材の「差し金」のことでこれには商売がぶれないように!という意味があるそうです。カネコウのロゴマークは、現在でも使用されていてボトルの 新里酒造の上の方にしっかり記されています。
3代目康貞氏、4代目康保氏の時代に沖縄戦になり酒造所は兵舎として使用されたため操業停止。
焼け野原になった沖縄では多くの、酒造所も被害を受け原料の調達もままならず酒造りどころではありませんでした。
1953(昭和 28年)になって牧志で家族を含め5、6人で事業再開し他のメーカーの酒を造っていました。
修一氏のお母さんが麹を造り、ドラム缶で仕込んでいたといいますから恵まれない環境でも酒を造ることを諦めなかったお母さんはスゴイと思います。
1962年には修一氏の父、肇三氏が5代目の社長に就任し自社泡盛の販売を再開し「琉球」に加え「かりゆし」を新発売します。
戦後から復帰まで、米軍統治下にあった沖縄は、ウイスキーの全盛時代で、飲食店でも泡盛を飲む人はほとんどいなかったといいます。
肇三氏は飲食店を1軒1軒回り取引先を開拓していきました。
1988年には、酒造所のない沖縄市からの強い要望を受け、工場を移転したものの、米軍の多い沖縄市ではなかなか業績が上がらず、会社は危機を迎えました。
国税の鑑定官から家業を継ぐ決心を!
修一氏は、小さい頃から酒屋の仕事が弟の健二さんに比べても好きではなかったといいます。
高校を卒業して、特に目標もなかったので、父に薦められて東京農大の醸造学科に進学します。
今となって考えてみたら、親父の策略にはまったのかな・・と笑います。
卒業後も家業を継ぐ気は全くなく、東京国税局に就職し、東京で4年、熊本8年、沖縄2年、公務員として過ごしました。
沖縄ではすでに泡盛の酵母1号がありましたが、修一氏が新しく泡なし酵母101号を開発。
これが沖縄の泡盛の業界を一躍飛躍させる世紀の発見となりました。
それにより「オグレスビー氏賞」を県内で始めて受賞しています。
それまでの1号では、とにかく泡が多くて「歩留まり」が少ないのが酒造会社の悩みでした。
泡が少なくなったことで、生産量もあがり、酒造会社にとっては、まさに有り難い酵母になったわけです。
現在でもすべての酒造所はこの101酵母を使って泡盛を造っています。
会社を潰してはいけない!!
との思いで国税事務所を退職して新里酒造の専務に就任。
2001年6代目社長に就任しました。
その後は順調に業績を伸ばし他の企業のPB商品(プライベート)も製造しています。(県内の大手スーパーやサントリーなど)
兄と違って、小さい頃から家業が好きだった弟の健二さんは、現在専務で、おもに営業・販売を受け持っています。
工場はすごく大きく、一大プラントという感じで、泡盛の世界もこんな時代になってきたんだなあ・・・と感じます。
今年の始め、産学共同研究で101H酵母を発見しました!
今年2015年度中には新商品として誕生させたい!と語ります。
泡盛の歴史にまた新しい1ページが開かれます。
泡盛は泡が出るから泡盛という説もありますが、現在は2割ほどが泡で、これを「天使の分け前」というんだそうです。
ステキですね。
ちなみに泡盛40度以上は冷凍庫に入れても凍らないそうです。
暑い夏は冷凍庫に入れた泡盛が飲めます!
酒屋を継ぐのがいやだった修一氏ですが、今は「会社を継いでよかった!」と思うそうです。
「和醸良酒」ー良い酒は和をもって醸す。(会社の入り口にあります)
(2015.6.30 掲載)